日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 本年下半期事始めに旭若松
2014年07月02日 (水) | 編集 |
2014年7月1日

このところ、政情的にはきな臭い状況にあってうんざりする。衆愚やらB層やら無知蒙昧やら、自らが権力者に都合の良い世相に荷担してこのようなレッテルを貼られても厚顔無恥で、一方で、どのような信条や主義に関わらず一命を賭しての訴えを意図的に無視あるいは愚者の極みと罵倒して退廃的ニヒリズムを気取り、心情的に都合の良いナショナリズムに酔って短期間的視野にて己の満足を満たして良しとする。そんな輩に参政権があっていいのだろうかと。基本、このような話題をせぬのがブログ上でのスタンスであるが、ひとまずは言っておかざるを得ないのである。

さて、そのような世情でもあり、すでにつぶやいていた通りに乗る気は毛頭ないが、酒造年度初日であるから明けましておめでとうで日本酒で乾杯などと、なんと脳天気であるだけでなく浅はかな思いつきだろうかと。酒造年度という事務的意味合いの強い特殊な季節符号に新年の切り替えにまつわるなんら文化的慣習もないはずである。酒造蔵でもなにか特別な祭事的意味合いをもった日程なのでしょうか、一昔前の農業閑散期の冬期の出稼ぎ季節労働を想定すれば酒造蔵の方は単なる閑散期である。言わずもがな、明治期よりの旧酒造年度が10月1日から始まることになっていたのを、1965年に酒造業上の事務的な実態に即して現行の7月1日開始と改められた経緯にある。そして、慣習的にその年の酒造事始めとして定着していた旧酒造年度初日の10月1日を業界内で「日本酒の日」と定めて振興策やイベントを打ち出してきている。すでに、実質上の酒造年度初日としての慣習的文化的意味合いが幾分は強い記念日が存在しており、混乱を招くばかりである。

7月から新たな酒造年度なのだと、内輪のマニアの間で話題にする程度なら自由の範疇であるが、根拠薄弱でなにかよくわかないまま、特別な意味のある日であるから「日本酒で乾杯すべき」と暗に強要するような扇動型の全体主義的行為には断固反発する。民意が選んだから権力者のすることは全て正しいとする意見に対してと同じことである。世界大会だかなんだか知らんが、一つのスポーツ競技に日本代表が出場するからと、国民総出で応援すべきという風潮に対しても同様の感情である。

1で始まり12で終わる年月の周期、酒造年度の切り替わりなどより、本年の下半期にさしかかったことの方が暦上の意味合いは重い。暦において大晦日と元旦を一年の区切りとして最も重きを置く日本の文化において、本日より本年の過ぎし日よりも残る日が少なくなっていく。暦に基づき一日一日を大切にすべきと改めて気を引き締める時節である。余談ながら、個人的には固有の文化に基づく慣習を重視する行為こそ本来のナショナリズムであり、見せかけの修辞的表現による美辞麗句に扇動され自己満足的心情で他者排斥に走るのとは似ても似つかぬものであると思う。

書き出すとヒートアップしてしまうのでこの辺で切り上げる。本日、当然のことながら夏日であるからまずはビールを飲む、というか飲みたい。なぜ日本においてビールが乾杯に定着しているのかといえば、端的にそれが適しているからということが大きい。喉が渇いていてさらに空腹の状態で日本酒をぐいっと飲むなど身体への負担も大きいし胃も荒らしかねない。一部の自治体による日本酒乾杯条例なんてのもあるが、たとえば新潟県長岡市による条例の最後の第五条では「日本酒に対する個人の嗜好及び飲酒に対する個人の意思を尊重するよう配慮するものとする 」と付されており、乾杯の部分を強調するから変な感じになるのであって、単純に振興を謳えばいいはずである。

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ビールにキリンのクラシックラガーを飲み、食事と共に頂いたのは徳島の那賀酒造「旭若松」の純米無濾過生原酒、麹米に自家栽培の神力、掛米に徳島県産の日本晴を用いた数年熟成・常温放置仕様である。昨年末に購入してストックしたままになっていたが、この区切りの期日に開栓する。五味が力強く濃醇であり味覚の官能に響く魔性的魅力を有する印象はこれまで抱いていたこれに対する期待と違わず、燗につけて飲むと陶酔と言うにふさわしい心地である。

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