日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 D誌あたりに撲滅キャンペーンをして欲しい居酒屋の悪習
2007年10月14日 (日) | 編集 |
2007年10月14日

本日は朝方にかろうじてブログをupして一日バタバタと、結局昼飯も食いそびれてしまう。昼から南森町で会合があり、晩はその流れで近くの居酒屋で懇親会となる。懇親会自体は有意義である、そういう場があることが重要なのだ。しかし、だからといって居酒屋の提供内容はまた別問題だ。しっかり料理とお酒でも満足させなければ居酒屋では無い。今回のお店、事前にどこに行くかは聞いていたのでメニューだけはネット上で確認出来た。ビールはヱビスであり、清酒は「秋鹿」を売りにしている。「秋鹿」だけでも六種類は揃えている。それだけでも期待が高まるというものだ。まずはヱビスで乾杯をし、それを飲み干しそうな時点で店員を捕まえて注文をした。

私「秋鹿の山(火入れの山廃純米吟醸)を燗で下さい♪」

店員「あの…、グラスで提供なんで…」

私「(うんざりしながらも察して)じゃあ冷やでいいです。。。」

こういう答えが返ってくることを覚悟しながら、一途の望みを託して注文するもののいつも裏切られてる。これが○保田とか八海○とかしか置いていない店なら期待もしないのだが、「秋鹿」を売りにしている居酒屋が燗で提供しないなど言語同断だ。何本もの「秋鹿」の一升瓶を晩酌で飲み干している私だから断言出来る、「秋鹿」は燗酒で呑まねば価値が無い。これは「個人の好み」だという批判も出てくるかもしれない。そう言う批判にはこう言い返す。

「焼酎ならば飲み方を店側から問うてくるのに何故清酒の場合はキンキンに冷やした状態での飲み方を強要するのか、本人が燗を希望しているのだから電子レンジ燗でも何でもいいから燗で提供すればいいだけだ」

さてさて、とにかく注文のお酒が届く。

「山のお客様~」 「は~い」

まぁ燗で呑めないとはいえ「秋鹿」だ、「腐っても鯛」とも言う。まずは一口と運ばれてきた陶器のコップを掴み持ち上げる。何故かやたらと軽い。よく見ると空っぽのコップを持ってきている。ついでに盃が台座になっている。ここまで言えば察して頂けるでしょう、客の目の前にわざわざ一升瓶を持ってきて、わざわざ台座の盃にこぼすパフォーマンスだ。こんな時代遅れの行為を未だにやっているとは正気の沙汰では無い。「こぼした分はサービスです♪」と言いたいんだろうが、こんなことをされても客が困るだけだ。溢れんばかりのコップでは単純に呑みにくく機能的では無い。同じ量を提供するならそれに見合う酒器を用意すればいいだけだ。「コップの発注サイズを間違えたのでつか」と嫌みも言いたくなる。杯に受けたこぼした分を呑むにしてもコップに移すにしてもどうしてもこぼしてしまう(酒の一滴は血の一滴)。そもそもコップの外側に口に入れる呑み物を晒させるというのは全く解せない。いくら綺麗に洗っていてもするべきでは無い。

そもそも雪冷えの状態で提供することも問題だと改めて思える。ここまで味気ない「秋鹿」を呑むのは初めてだ。それどころかせっかくの旨味が押さえ込まれてしまってアルコール感ばかり目立ってしまうのでやたら呑みにくいのだ。一合程度の量であるのに半分も呑まない内に杯が進まなくなってしまった。この辺でもお店側は損してしまっている。これが燗酒ならば私は三杯は確実に呑んでいただろう。

こんな記事を書くのは一度や二度では無い。むしろ、このような居酒屋の方が大半を占めているのでなんどでも書いてしまうのが自明の理といえよう。台座にこぼすパフォーマンスは時々出会う程度ではあるが、キンキンの冷やでしか清酒を提供しない(燗酒は自動燗酒機にセットされているもののみ)というお店は本当に多い。だれか統計調査をして欲しいぐらいだが、9割を超えているのではないかと思えるぐらい、飛び込み的に入ったお店で自由に燗酒を楽しめる店に当たったことが無い。せっかく清酒を売りにしていても、本当にモッタイナイ。
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