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 人の感覚、この不確実なもの
2012年02月11日 (土) | 編集 |
先日飲み会にて、お遊びとして会の前半は用意された8種ほどの清酒をブラインドで味わい、後半は各銘を明らかにして盃を重ねるという趣向を体験した。当然ながら点数をつけて順位付けなんて野暮なことはなく(評価は自分の胸の中に留めておけばいい)、利き酒でもないのでいちいち吐き出すこともなく、注がれた酒は飲み干してから次にいく。当然、飲み会なので肴も食しながらである。この内、2種は購入して家で飲んでいたものだったが、個体差のコンディションの違いというものもあるとはいえ、このような飲み方だと全然分からなかった。さらに面白かったのは、8種を通しで飲んだ後、印象の良かったものに戻った際に、風味の印象が全然異なるものに感じたことである。もし自身の感覚を絶対視し、この時の風味の印象をこの銘柄と結びつけてインプットしてしまうと、その銘柄=イマイチ、と記憶に留めてしまう可能性があり得るのである。以前より認識はしていたことであるが、酒の飲む順番や盃の重ね具合、腹具合、食い合わせの状況で人の感覚というものがめまぐるしく変化してしまうというのを明確に体験した。

もちろん、銘柄を愛でるという趣向も楽しいものであるし、飲んでみてあれこれと感想を抱くのも至極当然である。ただし、その際の最低限の礼儀というのが必要だと考える。それは、その酒を飲む際に、自身の体調や合わせる肴、それまでにどれぐらい飲んでいるのか、それらの条件を棚に上げて、自身の感覚を絶対視して批評することは慎むべきである。なぜなら、どれだけ自身の好みに合って、気力・体力が充実しているニュートラルな状態で飲めば自分が好きだと思える酒質・風味のものであっても、条件によってはイマイチな酒、マズイ酒と感じてしまう場面がありえる。感覚の不確実性は排除しようがないのである。

この人間の感覚の不確実さ、影響の受けやすさは酒の飲み手として心得ておきたいことであるが、この点の検討に関しての推薦書として佐藤信『酒を楽しむ本 統計学がわりだした実践的飲酒法』(講談社ブルーバックス、1964年)を挙げておきたい。すでに絶版になっているが、講談社ブルーバックスのシリーズなので多くの図書館に収蔵されていようし、古書でも比較的手に入りやすいと思う。記載内容はおおよそ半世紀前のものなので時代遅れな記述・データはあるのは確かである。しかし、飲み手側の嗜好や感覚、酒の美味さの測定に関する二~四章の科学的・論理的な検討は現代でも傾聴に値する。人の感覚がラベル・銘柄に対する期待、イメージ・順序(二つのものを飲み比べる場合、最初に飲んだ方が好印象になりやすい)・残存(その直前に口にしたものによって味覚が影響を受ける)などにより、いかに不安定で外的・内的要素に左右されるか、副題にあるとおり統計学的な裏付けを用いつつ明らかにしている。一つ面白いエピソードを紹介すると、当時の国立醸造試験所における品評会において、審査員が特にうすいと感じた酒について抜き出して成分を調べたところ、他の酒に比べて特別に含有成分が少ないということはなかった。ではなぜ薄く感じたのか、観点を変えて、その薄いと感じた酒の直前に利くことになる順番にあった酒を調べたところ、その酒の成分が特別に濃かったということが判明したのである。そう、その道のプロが行ったとしても、ちょっとした飲む順番の偶然で感覚が左右されてしまうのである。第三章「感覚の落とし穴」の結語はこうである。

「われわれは、自身で体験したことについては、絶対の信頼を置く。この目で確かめたのであるから、この鼻で嗅いだのであるからと。もちろん、それは大変に結構なことでもあり、妥当なことでもあろう。しかし、自分だけが正しいことをいかに確信していようと、誤まっている場合もあることを常に心にかけているべきである」(88~89ページ)

余談ながら、この本を知ったのは秋山裕一氏が『日本酒』(岩波新書、1994年)の中で挙げていたからなのだが、該当箇所は利き酒や評価法についての段、その専門書だとして挙げられていたから、実際に本を入手して読んだ際には面を食らった(利き酒のハウツー的な内容はない)。『日本酒』での実際の箇所を引用すると、「一般的なきき酒での評価は、…点数をつけて投票し、総合点で判断する。この他に、「どちらがよいか」というきき酒もあり、やり方や評価法についての説明は専門書にまかせることにしよう(佐藤信『酒を楽しむ本』)」(34ページ)とある。後から考えてみると、この専門書というのは点数投票式のきき酒ではなく、「どちらがよいか」の評価法に関する部分にのみ掛かっているのであろうと思える。『酒を楽しむ本』での該当箇所は第四章「酒の美味さを測る」の三「ウソの対策」である。

ここでは「スコッチウイスキーと国産ウイスキーを飲んで区別できる」と主張する人を想定して、実際にテストを行って、正解すればその主張とその人の能力を認めるということであるが、タイトルが「ウソの対策」とあるように、性悪説の立場をとって(科学的な証明のため)、その本人の能力が本当かどうかを疑う。単なるマグレ当たりを排除するために複数回のテストを行う。マグレ当たりが0%になるのは永久に繰り返しても無理なので、どこかで妥協せざるを得ず、著者はマグレ当たりの確率が5%以下になれば、それはマグレではなくその人の能力を認めることと仮定し、確率論から言えば五回連続で正解するのは3.125%であるから、五回連続正解することによって能力を認めるということとした。さて、この章はここで話が終わっており、続く章では飲酒量の管理法などの別の話題となっていく。この箇所だけを見れば、複数回のテストを持ってせねばその人の評価能力を証明できないということになるが、前段の挙げたとおり、この四章に至る前の第二~三章にて人の感覚の検討が行われており、自ずとそれを踏まえての話でなる。深読みすると、秋山氏があえてこの本を挙げたのは、きき酒のまねごとで飲み手が銘柄やイメージの影響を意に介せずに好き勝手批評するような行為が往々にしてあり、それに対する批判の意味があったのでは、とも思えてしまう。
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