日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 食での演出、という話 後編 あるいは、祇園さ々木
2007年11月25日 (日) | 編集 |
後編の更新が遅くなってしまい申し訳ない。

今回は二日続いての外呑みを前後編として続き記事にした。そのようにした理由、特に直接の関係は無いが、同じ京都のお店にして、前者はエンターテイメントだの宣伝文句ばかりで実際はお粗末な限り、後者は調理を見せても楽しませるという点で雑誌等で取り上げられる場合でも「ライブ」という表現が伴う。どちらも食に際する演出で楽しませるという話が出るのにこうも差があるものかと、こうも極端な事例を見せつけられると、余計にそこが気になってしまい、このような題にした次第だ。そもそも客単価も対象客もまったく異なるのは確かだが、前者の店での客単価より安くても充分に満足出来る場合は多々あるだろうと思えるのだ。

さてと、事の発端は数週間前、中学の頃よりの友人より電話、「今度の20日は空いてるか」と。特にこれといった予定は無く空いていると伝えると、ある京都の和食の店の予約が取れたから行こうとのこと。曰く、和食なのにピザを焼く場合に用いる石窯が調理場の中央に鎮座し、それで鮑等を焼く、と。曰く、云ヶ月先まで予約が一杯な店だ、と。ともかく、そういう話には都合が詰まっていない限りは有り難く乗らせてもらうので了解していた。その時は特にお店がどんなところなのか、確認せず。

日程が近づいて来て、当日の予約に関してのメールが届く。晩の18時半からだと、「さ々木」というお店だと言う。ふと、手持ちの京都特集の雑誌に紹介されているのかとめくってみたら、ものの見事に二誌に大きく掲載されていたわけで、特に「あまから手帳」の記事を拝見すると、その日のカウンターのお客は基本的に18時半には席に着き、一斉に料理の提供を始める。その様は正に「ライブ」だという。同時に、夜のコースの値段もわかり、肝を冷やしてしまったのだが、そういう機会は数年に一度ぐらいだと覚悟を決め、むしろ当日を楽しみにしていた。

そして当日、前日の不満(前編参照)もあって余計に期待が高まってしまう。到着したのはやや18時半を過ぎてしまっていたが、まだ他にも未着のお客が居た様子で特に問題なくてホッとする。とはいえ何よりも、やはり祇園だということが随所でひしひしと感じてしまう。玄関を上がり、カウンターに至るまでの過程でも雰囲気に圧倒されそうになる。別にお堅いとか近寄りがたいということではなく、言葉に表現しづらいことだが、とにかく祇園という一言に尽きてしまうか。ここは特に“一見さんお断り”というわけではないが一見だと予約がとるのが相当困難だろうと見て取れる。席の大半は常連さんという様子で、基本16席のカウンターに一見さんは我々二人と後は三人連れの一組のみだったようだ。何ともまぁ、そう言う雰囲気だったので写真を撮る気になれず、お見せできなくて申し訳ない。なにせ隣席はいわゆる“祇園のママさん”みたいだったし。

ともかく、席について程なくして一品目の準備が始まる。飲み物を伺われたのでひとまず生ビールを頂く。特にメニュー表等も無く特定は出来ないが、印象としてはおそらくヱビスだろう。カウンター内ではメインの佐々木浩氏を始め、料理人がにぎやかに調理に取りかかってられる。同時に、席・組ごとに主に接客サービスをする方を決めておられる様子で、飲み物の進み具合にも目を配ってくれる。ビールを飲み干したぐらいに次を問われたので、迷わず燗酒を所望する。こちらは燗となると富山の「富美菊」となる様子、一升瓶がカウンターに置かれており、湯煎の燗酒器にてつけて頂ける。酒器は錫の様子で、温度の調整が出来るように湯を張った容器も同時に準備してくれる。「富美菊」はレトロなラベルで、その後にネットで探してみても該当のラベルは確認出来なかったが、多分、本醸造あたりかと。これがまた、料理の中盤の盛り上がりである造りと寿司で抜群な相性を見せてくれたのだ。最終的には二回(二合分か)頂いた。ちなみに、友人は下戸である。そういえば、この日、燗酒を頂いていたのは私だけだった。後の清酒を呑まれている方は全て冷酒で、横目で銘柄を見ていたが、どうも客に銘柄を選ばせるのではなくてどういう感じのものが良いかを伺って選択している様子で、五種類ぐらいは確認出来たか。

料理についてはとにかく食材に拘る、石窯を駆使すると、おおよそ三時間にわたるコースで全く冗長な印象は無く、あっという間に過ぎていったと思える。料理を逐一レビューするのは避けるが、今回のメインであった蟹について注目すると、まだ活きたものを目の前で捌き、まずは足の部分を一本ずつ石窯にて火の入れ加減の違いで二回に分けて提供、味は言うまでもないがそのような火の入れ方の違いというのが単純に面白く感じてしまう。そういうところで実に演出の妙があるのだ。残りの身と蟹味噌は最後に蟹チャーハンにして提供された。その大胆さは意外ながら、これが実に美味い、蟹味噌にこんな楽しみ方もあるものかと。いや、真似しようとしてもこうはうまくいかないだろう。

振り返ってみると、総じて食材そのものの旨味を立ててられて、存分に料理を楽しんだ。トロなどにしてもしっかり脂が乗っているのにそのこってりさが丁度良くて、後口が軽いのである。それでいて旨味の響きが長く留まる。この翌日でもその余韻が残っていたぐらいだ。いやはや、このような晩餐は数年に一回ぐらいだろう。友人には感謝の限り。
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