日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 「良酒、水の如し」といいますが
2009年04月06日 (月) | 編集 |
2009年4月5日

本日は京都の方で外飲みでありました。店自体はちとコダワリ的(盛りつけの見栄えや用いているお皿など、そういうのも重要ですがね)な居酒屋で、それなりの満足度は伴いますがCP的にはちと…。お酒は、田酒の特別純米酒を「日本一の純米酒」とメニューにキャッチコピーをつけている時点でずっこけそうになります。数種のグラスでの提供分以外に一合瓶での提供を多く用意している、というスタイルをとっている。

そんな中で、一合瓶のものを同席者と色々と飲みあっていたのですが、辛口が売りな某県の清酒(純米酒)など、キリキリとアルコール感ばかり目立ち(当然、冷やでの提供。この手のは燗にするしか手がないと思うんですがね)、それなりに腹も酔いも充足した状態では飲みにくいとしか思えない。

旨味も無視してひたすら水の様な辛口を目指した酒は、実際には「水」というよりも「アルコール」を際だたせる結果にしかならないと、つくづく思うんですわ。「水」を目指したのに、それとは逆ベクトルとも言えるような「アルコール」の方に向かってしまう、一種のパラドックスに陥ってしまっている傾向があるのではないかと。

「淡麗辛口」を悪しく言っている方をしばしば見かけますが、大概、このような清酒と混同しているのではないかと前々から思っております。実際、そういう清酒が多い(居酒屋という場で提供されている場合は特に)のは確かだとは思いますが、坂口謹一郎氏に則り、そう言うのは「水の様な」を短絡的に目指し、風味を削り糖を切りまくっただけのものであって、「水の如し」を体現したものとは厳密に区分すべきだと考えております。詳しくは坂口謹一郎『日本の酒』(岩波文庫)をご参照のこと。ていうか、これを読まずに「水の様な」に該当するものを「水の如き」や「淡麗辛口」全般と混同して悪しく言うのは愚の骨頂なり。

そろそろ本題、本日の飲みの終わりの方で長野の宮坂醸造「真澄 純米吟醸」を頂いたりしたところ、辛口が売りのアルコール感キリキリの他の清酒とは対照的に、はんなりとした風味で口当たり柔らかく、スルスルと飲めてしまう。それでいて、甘味や香りも伴ってじんわりと旨味も感じさせる。それなりに酔いも進んでいるのに抵抗感なく飲めて、しかも美味いと思える。正に「水の如き」と思えるものと感じた次第ですわ。そういうこともあって、本日はこういう外呑みの場では珍しく実に酔い心地が良いのだ。極端に贔屓するわけではないんですが、こういった複数銘柄が出た呑み会において、「真澄」にハッとさせられ、美味しい思いをしたことがこれまでも多々あるのだ。有名蔵だと何でも悪しくいう朴念仁がたまにいますが、現状、「真澄」は実が伴っている好例だと思いますわ。

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