日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 1月29日、コノスル カベルネ・ソーヴィニヨン
2009年01月30日 (金) | 編集 |
2009年1月29日

亡父の命日である本日、午前中はお寺さんに来てもらっての法事である。平日であったが七回忌にて、ごくごくこじんまりとした法事である。一般的には昼食時に飲酒も伴うものだが、今回は無し。

その晩である。いつもならこのような機会にはちなんだ清酒を頂くのが定番ではあるが、今回は少し趣向を変える。高一の頃に親父が病に倒れたため、一度も酒を酌み交わした経験を持たぬが、唯一といえるのは通夜の晩、最後の別れの晩だからと家にあった頂き物の赤ワインを開栓し、祭壇にも供えてその場にいた親戚一同で相伴したことである。これをカウントすると、父親と酌み交わしたのは赤ワインが唯一ということになる。

あのときのワインがどこの何かはもはや覚えていない(フランスというのは確かだが)。ま、赤ワインというのは確かなので、最近に購入していたCP抜群のチリワイン「コノスル カベルネ・ソーヴィニヨン2008」を頂くことにする。主菜もそれに合わせて欧風に、ローズマリーで香り付けした鶏のローストなど。

コノスルカベルネ

ところで、ワイングラスに関して、いわゆる一般的に用いられている口のすぼまったタイプのグラスが我が家になかった。かつて、親が引き出物で貰ったような口の拡がったワイングラスを飲んだのをブログにupした際、いまや独立してワインショップを経営されている方にその点を突っ込まれたものだ。身近な酒屋さんにも、「ワインを飲むなら先に良いグラスを買うべし」と言われたこともあり、そうなると私は単純にメジャーで確実だろうということで「リーデル」のグラスを購入しようと思ったりした。しかし、「リーデル」はすぐ割れるとの話でどうにも躊躇してしまっていた。それが昨年末に、リーデルでも普段使いで低価格で、耐久性のあるソーダグラスを使ったオヴァチュアシリーズがあることを知り、赤用と白用をそれぞれ買い求めていたのだ。ちょうど楽天上のショップにて一客千円弱、気軽に購入出来る価格だったので買い求めていた。そのグラスが今晩にようやく出番が回ってきたのである。

比較対象として、以前から我が家にあった口の拡がったタイプのグラスも出してみたが、確かに味わいが異なる。ありきたりな話であるが、グラスの口の形状でワインの入って来る流れが異なり、いざ比べてみると口の拡がったタイプでは一気に口内全体(舌の脇の方まで)にワインが行き渡り、余計な雑味や重さを感じてしまう、というのが確認出来る。外で飲むのに比べて家でワインを飲むのはイマイチと感じていたのはそういうことなのだろう。

ともかく、ワインを楽しんだ晩酌。あっと、ワイン自体は日中に仏前に供えていたのであしからず。

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 心斎橋にて同窓呑み会
2009年01月28日 (水) | 編集 |
2009年1月26日

この日は大学の学部の頃の友人二名(社会人入試で入られた方々なので年齢はバラバラ)と久しぶりに飲みにいくこととなった。お一人が元々、心斎橋の方にお勤めであったことからそちらの行きつけだったバー(後述の理由もあり、店名の明記は控えさせて頂く)に訪れるのが定番である。

新世界じゃんじゃん

いきなりバーに行くのも何なので、腹ごしらえもかねてその前に一件、手頃なところで近くにあった新世界の串カツの支店「新世界じゃんじゃん」でビールと共に串カツや居酒屋定番な一品ものをつまむ。内容的には大箱系のそれと変わらない(雰囲気も、新世界のごちゃごちゃした雰囲気にほど遠い)が、お互いの近況を語り合う場としては十分。

ホーセズネック

小一時間ほどそこで談笑の後、行きつけのバーに赴く。昭和の雰囲気の漂う、居心地が良くて、この集まりでは定番になっている。本日はソルティードックにホーセズネック、それにドラフトギネスを頂いた。こちらでも談笑が続く。

プースカフェ

おまけで、ちょうど他客が注文されたプースカフェ。ちとピンぼけで申し訳ない。

こちらには数年ぶりの訪問でもあったが、マスターがご高齢であり、ドクターストップもかかったために後一ヶ月ぐらいで閉店されるとのこと。これまでご対応して頂いたことに感謝の意を表したい。

追伸:翌27日は休肝日としました。

 大正の一滴 蔓無源氏
2009年01月24日 (土) | 編集 |
2009年1月24日

今週はちと忙しく、ようやく週末を迎えたというところ。平日の間は暦的な気候に外れて暖かかったり、雨が降り続いたりとしたが、週末はグッと冷え込んできている。

晩の献立は鍋物にさつま揚げ、それに合わせて芋焼酎を開栓する。国分酒造の「大正の一滴 蔓無源氏」、現状では原酒での出荷のみ、年一回の限定販売であり、今回のものは平成19年仕込み(いわゆる19BYに該当するか)でつい一週間ほど前に発売されたばかりである。これまで試飲程度はしていたが原酒のみで一升瓶のみの販売ということもあって、いざ購入するのに尻込みしてしまっていたが、国分酒造さんの芋焼酎には高い好感を持っていることもあり(芋焼酎がマイブームで色々な蔵を漁っていた時分に出逢いがあれば、もっとぞっこんだったろう。こればっかりは運や偶然の結果でもあるが)、今回の販売の際には購入してがっつり味わおうと密かに心に決めていたのだ。国分さんの湯割りグラスも晩酌時には重宝しているし。「大正の一滴 蔓無源氏」については公式のURLも参照にされたい。

大正の一滴_蔓無源氏


生(き)で頂くと濃くて爽やかな甘味を感じつつ、全体的に引き締まった印象である。湯割り(原酒であるので薄めに4:6)にすると荒々しい芋臭さが全開になってしまうが、そういう芋臭さを楽しむ分にはありかと思う。むしろ水割りやロックの方が甘い風味を楽しむのに好適かと思う。バニラ様の香味を感じられて、実に好ましい。今後、25度程度に割水をかけ寝かしたりして堪能していきたいと思う。

ところで、先ほどブログを確認したら私が購入した酒屋さんでは本日で完売されたらしい。今回のものは出荷量も少ない様子だが、同じ原酒を割り水したものを今秋に発売予定とのこと、蔵元謹製での加水バージョンもそれはそれで興味深い。



 牡蠣フライ、大黒正宗しぼりたて
2009年01月22日 (木) | 編集 |
2009年1月21日

またブログがサボり気味で申し訳ないところではあるが、どうにも書くにしても公にするようなことでない、憂鬱な感情に基づくあーだこーだと書いてしまいそうだったもので。

2009年0121大黒正宗


本日の晩の主菜は牡蠣フライ、好物の一つである。これとともに「大黒正宗しぼりたて」を頂く。新酒の華やかで力強い風味を持ちつつくどいということはなく、濃醇であるが後口の切れも良い、そのような杯を重ねての心地良い感覚を本日は実感しつつの晩酌となる。「ぬる燗ぐらいでも飲みたいなぁ」という想いを抱きつつ、結局それに至らずに冷やのままで呑み続けた。すでに惚れ込んでしまっているということもあるが、どの呑み方でも懐深く楽しめてしまう、そんな落ち度のない完成度を感じてしまう、「大黒正宗」には。


追伸
昨年末の「清鶴 純米 ひやおろし」の記事について修正しました。理由を一言でいえば、「ひやおろし」と銘打っているのに「冷や卸」ではなかった、ということです。私の情報不足が悪いんですがね。


 1.17 「天のさけ 純米無濾過 荒走り」
2009年01月18日 (日) | 編集 |
2009年1月17日

年明け最初の忙しさのあったこの一週間、ブログは滞り気味ではあるし、実際に飲酒量も少なく、休肝の意味もあって3日は晩酌なしであったり。

この日は1月17日、なにげに5時30分頃に目が覚めたりもした。あの日はまだ高校生、今と同じく大阪の自宅にて就寝中だった。直接の被害は軽微だったが、あの衝撃は忘れるものではない。今年の、関連特集番組(関西方面だけかもしれないが)でも取り上げられていたが、少なくとも次のことは言えると思う。

人災として、震災被害はまだ終わっていない。

改めて気合いを入れ直す想いである。

さて、週末の土曜日ということでゆっくりの晩酌、ビール後に清酒、個人的には大阪の地酒として大いに支持する天野酒の特別バージョンである“山本スペシャル”(念のため、「支持する」に該当するのは“”の箇所まで含んだ場合に限る)の今年度の新酒「天のさけ 純米無濾過 荒走り」である。合わせる食事は諸事情で某所の大規模な初釜で供された「なだ万」の御弁当、いかにもな「のりたま」ふりかけはどうかと思うが。。。

天野酒荒走り


今回の天野酒の荒走り、全体の出荷量は定かではないが、身近な二店の内の一店は完全に予約受付分のみであったし、もう一店も先週訪れた時点で試飲・量り売り用に開栓したもののみが残っているといった状況、そういえば和醸氏が前者の店から唯一残っていた試飲用の残り分を強奪して譲ってもらったりされていたが、まさに引っ張りだこである。私はというと、先の日曜の我が家での初釜用の清酒を求めた際に、これを選択したという経緯、後者の店の残りを量り売りしてもらった。

これは荒走りで結構オリも絡んでいて、ガス感も残っている。“山本スペシャル”はこれまでの印象でも酸の出方が良いと感じているが、今回はそれとオリによる甘味の組み合わせが良く合っている。甘い風味を堪能出来つつ、キレは爽快である。無難と言えば無難であるが、初釜のように普段清酒を飲み慣れていない方にも受け入れられやすく、かといって飲みやすさだけに偏重したようなものでなく、といった場合にちょうど好適と感じた次第である。



 寒波が近づくと燗酒が恋しく
2009年01月10日 (土) | 編集 |
2009年1月9日

予報によると寒波が近づいているという。東日本の方では冠雪している様子であるし、明日には西日本でも雪が降るとも言う。日が暮れて夜になるとじわじわと寒さが染みてくる感覚がある。

0109日高見本醸造

こうなってくると燗酒が恋しくて仕方ない。手元にある清酒にて特に晩酌向きの本醸造、「日高見 本醸造」を頂いている。開栓して当初は吟醸的に感じたが、しばらくしたら落ち着いても来て、しっとりと旨味が楽しめる趣。燗にすると実に軽快。開栓後の変化というのがまじまじと感じられるのは清酒の醍醐味でもある。「もう少し寝かしてから飲めばよかった」や、逆に「開栓後近日中にもっと飲んでおけばよかった」と思うこともあり、このような悲喜交々も晩酌ならではの楽しみでもある。

この頃、改めて考えてしまうのだが、そのお酒を一杯だけ、一回だけ飲んだだけではその内容の全てを語ることなど出来ないと思う。そのお酒の熟成や保存状態(場合によっては常温保管でも良い方向に作用するということもある)、開栓後の経日変化、その年度の造りにおける特徴などを考慮するだけでも、100%全く同じ味を体験することなどありえない。ましてや、飲用温度、清酒と合わせる肴・料理との相性、複数の清酒を頂いている場合には飲む順番、呑み手の体調や腹具合による味の感じ方の違いなども当然無視出来るはずもなし。お酒の風味についてのレビューはあくまで、その日その時の条件のもとでの感想を述べる以上の何でもない。おおよそ本ブログもそれをしている程度のものである。

かつて、自分の体調などの状態を棚に上げて、ブログ上にて外呑みで冷やを一杯飲んだだけの清酒銘柄を悪しく言ってしまったことがあり、それを諭されてハッと気付かされた、という経験がある。お酒自体に対しても、造り手に対しても、このような行為はあまりにも失礼であり、また、マイナスの印象を書き表し公表するということはそのイメージだけが一人歩きする危険性も含んでいる。もし、どうしても納得のいかず、苦言を呈す場合は、利き酒の流儀に可能な限り則り、体調を整え、襟を正した上で味わい、それに加えて杯を重ね晩酌をする体験を経た上でなければ礼節を欠くだろう。もっとも、単にマイナス面を引っ張りだすのではなく、それよりもプラスの面、魅力のある点を見出していくのが道理に適うことと思うし、それが面白くもある。無理に悪口を記す必要もない。「魅力を引き出す」、あるいは「魅力を見出してあげる」のが呑み手としての礼儀だと私は思う。もし、不満を抱くようなお酒と出会ったしまった場合でも、それを選択してしまった己の非は全くないのか、その日の体調はどうだったのか、料理の選択はどうだったか、複数銘柄をとっかえひっかえした場合は飲む順番がどうだったか、自問自答をすることが必要だと思う。私もたまに苦言めいたことを書き記してしまうことはあるが、特に外呑みで一杯飲んだだけと言う場合、好印象に残ったものに対してのみ、寸評程度に留めるように心がけている。また、☆などを用いて五段階評価をする行為が往々にして拝見されるが、お酒の魅力は一様の基準で同列に評価しきれるものではない(本格的な利き酒のように、可能な限り同一の条件のもとで同時に行い、評価基準を定めている場合は別)という考えから一切行わない。段階、言うなれば点数をつけているということになり、数字は上下の順序分けにつながり、その数値が一人歩きする場合も懸念される。個人の賞賛にしろ苦言にしろ、言葉で表現出来ない以上のことは示す必要などない。

一介の未熟な酒徒に過ぎない者であるので、これが全くの正道であると主張するわけではありません。ただ、私のスタンスとしてこの事は一度はっきりと書いておきたかったのです。本日の晩酌の話から飛んでしまい申し訳ありません。



 よなよな、ベットの上
2009年01月08日 (木) | 編集 |
ベットの上

冬の寝しなはこんな状態。重たいんだわ、これが(合計12kgオーバー)。

 そろそろ日常通り、「さつま寿 旬」
2009年01月08日 (木) | 編集 |
2009年1月7日

本日は慣習の通り、朝は七草粥を食する。本年はそれほど暴飲暴食したわけではないが、このあっさりとした食事は好みである。すでに平日の冬の一日。

0107さつま寿旬


本日は豚のステーキといった主菜、豚にはとりあえず芋焼酎と単純な発想ではあるが、「さつま寿 旬」を合わせる。すでにこの“旬”の意味するところから外れてしまっているような気がするが、どちらかと言えば日本酒のヘビーローテーションの私、一升の芋焼酎を飲み干すのにそれなりの期間を要してしまう。とまれ、期間がずれたからと言ってこの焼酎の魅力が大きく減ずるわけではない。




 普通の人にとっての日本酒、ヤヤコシイ日本酒?
2009年01月06日 (火) | 編集 |
正月早々だがこんな話題、少し前のことだが電車に乗っている時のこと、すぐ後ろに立っていた男女の大学生らしき二人の会話が聞こえてくる。コンパなり、だれかの下宿で呑んで酔いつぶれ、どういう失態をしたかということが主な会話内容だったが、そのうちになにを飲んだかの話になり、おきまりの如く「日本酒は悪酔いする」ということを言い始めたわけである。男性の方が女性にその理由を説明し始める。曰く「アルコール構成が焼酎など蒸留酒と違うらしくて悪酔いしやすい」、曰く「分子構造が違うらしい」云々。ホントにわかって言っているのか、それがホントに悪酔いと関係あるのか、科学的に証明されているのか確認したんかいな?と、ツッコミたいところで駅に着いてしまったのでその後の話の顛末は定かではないが、そういう“なんちゃって科学”でもっともらしい理由付けをして、何としても日本酒が悪酔いの原因であるというように話を持って行きたがる人が多い、という気がする。

そもそも、悪酔いするぐらいに呑み散らかした自分自身を棚に上げて、「あのとき悪酔いしたのは日本酒を飲んだせいだ」と責任転嫁をして吹聴する。それを耳にした人が「日本酒は悪酔いする」ものだとすり込まれ、その理由に「分子構造が違う」とか、「蒸留酒のアルコールの方が悪酔いしにくい」とか、「日本酒は醸造酒だから悪酔いしやすい成分が多い」とか、もっともらしい根拠を後付けしていく。これは特にネガティブなイメージの方の場合だろうが、どうにも「日本酒はヤヤコシイ」というイメージを持っていて、どうにも滅多に呑むことのない縁遠い存在と感じている方が多いのではなかろうか(日本酒に対して一定の経験がある人でも「アル添は混ぜものが入っているから」とかいったりするぐらいだからねぇ。確かに唾棄すべき日本酒みたいなものが世にあるのは否定しないが、それが醸造アルコールのせいだとするのは全くの論理のすり替え)。そのために、ネガティブなイメージをすり込まれやすいのではないだろうか。冒頭に挙げた大学生らしき男女二人、飲酒するようになってせいぜい数年というところであろうに、「日本酒は悪酔いする、他の酒(例:焼酎)は悪酔いしない」と言い切れるほどに飲酒経験を持っているのか、甚だ疑問である。

直接日本酒とは関係ないが、先日思い立ってワインについてもう少し向き合ってみようかなぁと思い、気になった本を一冊買い求めた。それは『Dr.Inkerの普通の人のための、普通のワイン読本』という本、1991年の発刊という点は考慮する必要があるが、なかなか軽快で小気味よい内容にて一気に読み終えた。これはワインの全くの初心者向けに、世のワイン入門書の問題点(ラベルの読み方、世界のワイン産地など、膨大な知識を要求しようとする)を指摘しつつ、いかにワインが特別なものではなく、普通に親しめるものであることが示されている。この本の内容、そのまま「ワイン」を「日本酒」と置き換えると結構現状に当てはまるのではないかと思えたりする。というのも、「日本酒」というものが「ワイン」と同じぐらいに「よくわからん酒」と思っている人が少なからずいるのではないかと感じてしまっているためだ。無理に「日本酒」と読み替えなくても、呑み手としての心得を諭す本としてはなかなか良くできた本だと思う。少し内容を触れながら話を進めてみよう。

この本は冒頭にて「あなたは本当にワインを飲みたいのか?」という問いかけから始まる。まず自主的に飲みたいと思うところから始まると、最初の0章(序章というべきか)が当てられている。単純明快な問いではあるが、これはどのような種類の酒と対峙するときの基本だろうと思える。この本の内容から少し日本酒の話に飛ぶが、「誰かに飲まされた」、あるいは「その場の雰囲気で飲んだ」というのは飲んだ経験に入れるべきではないだろう。そういうイメージを取っ払って虚心で向き合うのが第一歩ではないかと。

まず“1,000円の”価格帯の白ワインを味のタイプ別(甘い、やや辛口、辛口)に三種飲み比べることを推奨されている。余計な知識を入れるのではなく、何よりも自分の舌で味わい、自分の好みを見定めることがまず必要であるとしている。実に単純で、何ら難しい話ではない。

ワインの味については次の様に言い切る。
「『味』は飲めばわかります。これは、そうですよね。あなたの舌で味わい、あなたの鼻で香りをかぎ、あなたの舌で温度を感じ、あなたの喉をワインが流れ落ちて『喉ごし』もわかります。香りも、酸味も、甘さも、色も、その他、その夜のワインの持っている物が全てわかります。まず、自分が感じた『味わい』に自信を持ってください。通が、ワインについて何か話す時にはもっと難しい言葉で表現する、などと思い出す必要はありません。あなたが飲んだワインについてのあなたの印象、それがあなたの最初の『ワインの基準』になるわけです」(31ページ)
「『他人の舌は他人の舌。自分の舌は自分の舌』であることをお忘れなく。自分が飲んでおいしいワインを探すんですよ。これが実に大切」(41ページ)
つまりは、余計な知識などなくともワインは楽しめる、自分自身が楽しめることが基本であることを示されているように思える。日本酒の場合、味の表現について「五味」や喉越し等についての用語が存在し、一定の共通認識が為されているが、味の表現などは後からついてくるものに過ぎないと思える。また、
「実は『日常的に飲む』ワインの、収穫年度。葡萄の品種。熟成の度合い。さらに色、香りなどを、『厳しく吟味』したところであまり意味がありません」(63ページ)
と述べているが、これこそ日常の晩酌で頂く、晩酌とまで言わずとも日常生活で飲酒を楽しんでみる、という場合に頂くお酒に通じる話であろうと思える。右も左もわからずに「有名な銘柄」、日本酒の場合なら「原料米の種類」、「特定名称酒の種類」などにばかり気を取られるのは実はもの凄く恥ずかしいことではないかと、過去の自分を振り返ってみてそう思えたりもする。この本では次の様にも書かれている。
「とにかくボルドーの有名なワイン、ブルゴーニュの有名ワインを揃えておけば、『通』やら自称『中流』さんやらが名前に引かれて買ってしまう。(中略)『様々な知識』を初めにひけらかして、極く一部のワイン飲用者が『勝手にややこしくしてしまった』と言って、それほど過言ではないと思います」(65ページ)
ここでの「ボルドーの有名なワイン」を「某誌で賞賛された純米酒」、「ブルゴーニュの有名ワイン」を「プレミアが付くような有名銘柄」、「極く一部のワイン飲用者」を「一部の自称日本酒通」と置き換えると、昨今の日本酒の周囲でよく起こっている出来事ではないだろうか。

最後に、自分の事を棚に上げるわけではないが、次の一節を引用して了としたい。
「ワインを深く知っていればいるほど「通」ぶったりはしないものです。また、安いワインをも愛してくれます」(15ページ)



 2009年元日、「大黒正宗しぼりたて」にて幕開け
2009年01月02日 (金) | 編集 |
2009年1月1日

新年、あけましておめでとうございます。本年も拙ブログではありますが拝読賜りますと幸甚であります。

普段は何らかの理由がない限り、自発的に昼から飲酒することはないのだが、元日だけは別。昼からお酒、それもその年で最初の清酒を頂くことにしている。

お節料理と言うほどに整って用意されたものではないが、数の子やごまめや蒲鉾、それに我が家にお歳暮で頂いたローストビーフなど、いわゆる「切って(皿に盛って)出すだけ」という手間のかからないものが主体。こういうのが正月らしくて良しとしている。

2009年元日大黒正宗

写真ではまだ升に酒を満たしていないのだが、本年の元日の昼、頂くのは灘の安福又四郎商店「大黒正宗 しぼりたて」だ。もちろん今酒造年度、20BYの新酒である。私にとってはその年度の新酒としてデフォルトで一本は呑むことに決めている。本年も期待通りの風味、新酒の薫り、甘露でフレッシュな香味、度数が高いのがわかっていながらもすいすい飲めてしまう軽快さ、新酒として理想的である。これを升で頂くのが実に良い。

2009年元日杉勇

夕食も献立は似たような(というか同じ物が多い)内容であるが、ここでは傾向を変えて、元日という日にふさわしいハレの酒をちびちび頂く。山形の「杉勇 大吟醸原酒 雫取り古酒14BY」、山田錦の精米歩合35%の堂々としたもので、素晴らしい大吟醸。古酒ではあるが老ね感は特になく、若々しさを保っている。

まぁこんなノリでボチボチやっていくかと思いますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。



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