日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 1月29日という日に、「喜久酔 純米吟醸」
2006年01月30日 (月) | 編集 |

 ようやく風邪も落ち着いてきた。結局今週は水曜から土曜まで晩酌無しだったのでかなりお酒の消費量が少なく、さすがに清酒や焼酎が恋しく感じてしまう。

 風邪であろうと無かろうと、今日1月29日はお酒を呑むつもりだった。ちょっとしめっぽい話になってしまうのだが、この日は親父の命日に当たる。親父の呑んでいる物と言えばワンカップ大関とスーパードライばかりのイメージがあるのだが、お酒というものが好きだったのは間違いない。しかし、私が高一の時に病気で倒れてしまいお酒など呑めない状態になってしまう、つまり親父と酒を酌み交わすという経験は私には無い。その代わりというと語弊があるかもしれないのだが、何か法事や命日というときにはお酒を供え、そのお酒を呑むというのが通例になっている。

 そうして今日のために用意していたのが静岡の青島酒造の「喜久酔(きくよい) 純米吟醸」だった。このごろ静岡の清酒を気に入っているということもあるのだが、「喜久酔」を選んだのには特別な理由がある。それは「喜久酔」という銘柄名の故だ。

 親父の名前は喜久雄といい本銘柄と二文字が被る。なので私の目を通してこの銘柄を見ると「親父が酔う」と読めてしまい、何ともおかしい。話によると元々「菊水」の銘柄名だったらしいのだが、まったく別の蔵で同一銘柄のものがあるということで平成6年(1994年)に現在の「喜久酔」の名前に改めたということだ。おそらくこんな銘柄名のお酒が出てきたことを親父は知るよしもなかっただろう。手土産で見せたりしたらどんな顔をしていたのだろうか、そんな事も考えてしまう。

 今回は無粋な気もするのでお酒のレビューについては次回呑むときにする。まぁ実際に親父と酌み交わしていたらなんだかんだ言い合っているんだろうなぁ。


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 風邪ひき中につき…
2006年01月26日 (木) | 編集 |

 どうも水曜の朝から風邪をひいてしまいました。そんな中業務も立て込んでおりますのでお酒もブログもお休み中です。申し訳ありません。

 風邪自体が回復しても記事を書いてられるか、とにかく土日ぐらいまでは休みます。薬を服用するので酒は呑めないし。。。今日も早く寝よ、猫たちの如く。



 定番な「かごの屋」で菊姫
2006年01月25日 (水) | 編集 |
 今日は晩も会合で、その後の流れで本ブログでは何度も訪れていることを明記している和食系ファミレスの「かごの屋」に、本当にここぐらいしか呑む店が無いというのが正直なところで、それを証明するかのように平日の晩なのに呑み客で繁盛している。

 寄せ鍋や一品物をつまみつつ呑みはまず生ビール(一番搾り)、次にやはり今日は冷え込みも激しいので焼酎のお湯割り、芋だと「黒霧島」で毎度呑んでいるので今回は麦の「くろうま」にする。麦の甘味も感じられ不満点は見あたらないので、この場で呑むには良いかとも思える部分がある。

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 その後流れで石川の清酒「菊姫」、普通酒の中に含まれる「菊」を呑む。こちらで定番に用意されている唯一の地酒であるが、小瓶単位の提供であり普通酒ということでこれまであえて注文しようと思うことは無かった。これまで菊姫は呑む機会は案外無かったのだが、実際呑んだところさすがに評される部分がよく分かる、普通酒の範疇の扱いであっても本醸造的、使用している醸造アルコール自体も悪いようには思えず持ち味になっている様に思える。山廃仕込ということもありほどよく濃醇さがあって味切れもなかなか、冷酒のみの提供であってもなかなか好印象にて呑んでいた。正直なところ、純米/アル添の点での優越の意識はこの頃無くなった(差異は認識しているが)こともあり、気楽に清酒を楽しめる部分は増えているように思える。私自身、純米好きであるし、なによりも全量純米の秋鹿好きという時点でそれは明確であるのだが、純米でなくとも単純に清酒として楽しめるものもあるという感覚である。ただし、純米好きではあるので菊姫の純米、「先一杯」あたりをしっかり味わいたいなと思う次第だ。


 刺身で呑みたく高砂山廃あらばしり熟成
2006年01月22日 (日) | 編集 |


 くつろぎすぎ
2006年01月22日 (日) | 編集 |

人のまたぐらでくつろいであくびまでしとります。こちとら重いよ!



 芋焼酎 さつま寿
2006年01月21日 (土) | 編集 |


 秋鹿 あらごし生酒
2006年01月21日 (土) | 編集 |

 週末の金曜日、存分に晩酌するにはちょうど良い。先日徳島県のおおさかやさんに複数本清酒を発注したことを書いたが、今回はそのうちで開栓したのは大阪の清酒「秋鹿 あらごし生酒」だった。これは秋鹿の今年(17BY)の新酒第一弾という話で名前通りほとんど濾しておらず活性にごりの状態での瓶詰めで精米歩合60%以下の純米酒、秋鹿の特徴である能勢産の山田錦や雄町を用いるのとは異なり、使用米に日本晴を用いている。これは使用米では秋鹿でも普通酒とも言える「千秋」(昨今のカップ酒流行で取り上げられるバンビカップもこれ)と同じであり、価格も2千円ほどと相当リーズナブルなものだ。

 秋鹿の中でも季節商品として価格も純米で活性にごり酒として詰めていることを考えると安く(栓もガス抜き使用)、使用米も山田錦や雄町と異なる。しかし、呑んだ感想としては全く不満点は見あたらない。始めに上澄みだけ呑むと辛い(軽い)だけという部分であるが、濁り部分と混ざって呑むと新酒の風味・米の旨味と甘味の切れの良いまとまり、なによりも濁り酒であるのに甘さはそれほど無く酸味もしっかりでダルサは全くなく、含まれる炭酸による爽快感もあり濁り酒の性質の中での切れの良さは特筆ものと言える。やはり秋鹿は一般的に辛口と言われるような発酵仕切った酒質の軽さがあると思い、この価格の安さの中でこうも美味しく呑めるのは明記出来る。

 今夜は鶏つくねの鍋であって、家族と一緒ではあるが一升瓶の半分以上は呑んだように思える。秋鹿は日本のドメーヌと言われるように米からの一貫造りが取り上げられるのだが、今回のようなそれとは外れるもので全く満足するものであり、造りの見事さを証明しているのではないかとも思える。とにかく一升瓶の半分も呑んだことはそれだけ満足していることを証明しているとも思える。



 ブランデーで一服
2006年01月20日 (金) | 編集 |
 ふぅ、今週は今日(19日)まで忙しくブログもお酒も控えめ、振り返ってみると月曜は麦焼酎の「とっぱい」を正味150mlほどを割水燗にしたのみ、火曜は清酒で「大黒正宗 原酒」、一合ほど残っていたものを燗にして呑む。そして水曜はもうお酒を呑んでる余裕もなく晩酌無し、といった感じだ。

 今日で気分的に開放されたので早速存分に晩酌したいところだが、今日は流れで食事に行ったのでそこで生ビール(SD)一杯だけ呑んでいた。呑みが主旨でも無いし中華の店なので致し方無し。本格的な晩酌は明日にお預けとなった。

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 ただ今日これだけの呑みで終わるのは寂しい気もするので寝酒がてらブランデーで一服、コニャックのクルボアジェ・ナポレオンを呑む。香りは穏やかながら熟成による落ち着いた風味、甘ったるさは無くドライで後口にかけての味の響きが良いように思える。癒しの一杯といったところだ。


 特に変わりはございません
2006年01月17日 (火) | 編集 |

このごろちょっと猫の記事が少なめですが、大体はこのごろいつも写っている箱の上にいることが多いので似たような写真ばかりになってしまうというところもあります。

今日は普通にホットカーペットの上でたたずんでるの図。特にネタはありません



 元は一体な酒と肴の晩酌
2006年01月15日 (日) | 編集 |
 先日は休肝日、今日upしたコラムを書いていたりした。 

 今日は最初にオードブル的にポートワインを呑みながらお歳暮のローストビーフをつまんでいた。そろそろお歳暮のハム類は賞味期限に近づきつつあるので意識的に食べていく必要もあったりする。まぁ嬉しい悲鳴といったところだが。

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 本格的に晩酌、清酒で灘の安福又四郎商店の「大黒正宗 しぼりたて」、今年度の新酒である。主菜は湯豆腐と焼いた酒粕を海苔で包んだもので、この酒粕は大黒正宗の酒粕であり、今回の清酒と元は一緒のものと言えよう(しぼりたて購入時に同時に頂きました。かどや酒店さんありがとうございます)。いわばおからと豆腐の関係に近い。私は普段酒粕は全て粕汁に用いるのだが、酒粕の食べ方として伺ったので今回試したがこれがまた酒の肴としては非常に良い。しかも元が一緒なだけに合わない訳が無いという感もある。注意点として、案外少量でも満足のいく肴である。少量を海苔で巻いたものだが6つ用意して多すぎたと感じた。

 「大黒正宗 しぼりたて」自体は冷やで呑む。案外しぼりたての新酒であるのに若さと言えるような荒々しさはそんなに無く、むしろ開栓してある程度立っているので何とも落ち着いた軽快な味切れの良さと余韻の響きが両立している感じだ。これじゃあ火入れや熟成など必要ないのではとも思えてしまうほどであるが、一方火入れ・熟成させた「大黒正宗 原酒」(少し前の晩酌ノートにも書いた)は燗映えして色々な料理との相性も高いと思え、より完成度の高い清酒であると思えるものだ。どちらも美味いことには間違いない。このしぼりたては正月2日ついつい呑み過ぎてしまったので今回の残りは2合ほど、なので今回で呑み切った。


 地酒、地に根ざすものか?
2006年01月15日 (日) | 編集 |
 主に清酒に関して「地酒」という言葉がある。小泉武夫監修の『日本酒百味百題』という本によると「地酒といっても、別に特別な酒でないし、明確な定義があるわけでもない。その土地土地に特有の酒、というほどの意味の言葉である」とあり、本来は清酒=地酒と言えるものだろう。それでも「地酒」という言葉が特別に用いられる。その意味するところは大手メーカー以外の地方の酒蔵の酒であることを主張するためであり、「桶買い・桶売りシステム」から脱した蔵独自の造りによる清酒を示すものであると言えよう。

 本来お酒というものは各土地・各集落ごとに酒蔵があり供給を担っていた。それが都市形成が進むにつれ都市への供給源・流通機構が発達していき、その供給源として灘のような酒造りの集積地が形成され、大手メーカーによる一元的清酒供給のきっかけともなったと言えるだろう。その意味では「地酒」は地域に根ざし、地産地消の形式(少なくとも生産量の多くが周辺地域内で消費されるということ)にあるものという内容を含み、実際にそのような酒蔵も存在するだろう。しかし、その観点で「地酒」と言われるものを捉えることは難しいように思える。というのも「地酒」という言葉は上述のように灘・伏見辺りの大手メーカーとの差別化を図るためのキャッチコピーとしての意味合いが強いためである。構図としては大手=大量生産・桶買いで石高増量=低品質に対し地酒=地域の人のために懸命に酒造り=高品質というイメージ戦略というところだろうか。

 ただし、「地酒」というから大手では無い高品質なものかと言えばそうとも限らない。もちろんお酒自体は嗜好品であり、どの清酒を嗜好するかは各人の判断に委ねる部分が大きいのでその大手と地酒のイメージ戦略通りに現実が当てはまるわけでも無いのだが、その「地酒」のイメージに関して、現状において古川修によると一般的に「地酒」と(かつての地酒ブームにより)認識されている銘柄の酒蔵の中には現在大手と言えるような高い生産石高量を有するものもあり、中には桶買いを行っている蔵もあり、「地酒」の境界線は曖昧となってしまっている状況もある。

 経験則ではあるが、「地酒」という言葉を積極的に用いる場所と言えば酒屋であり、居酒屋等の飲食店だろう。前者だと陳列の場所、後者だとメニューでの位置づけが大手と地酒で明確に区分されている場合がほとんどである。そこでの「地酒」は地域性や販売者の好みのようなバイアスによる偏りはあるものの、決してその地域の酒のみを集めているわけではない。つまり「地酒」というものに価値を見出し、積極的に売り込もうとするのは全国各地に点在する酒屋であると考えられる。他地域に持ち込むからこそ「地酒」という言葉がありがたく聞こえてくるという心理的側面もあろうが、全国的な市場において各地域に存在する様々な酒蔵の銘柄を消費が可能、それを象徴するのが「地酒」という言葉のようにも思えてくる。

 なので「地酒」であってもその地元が主な市場であるとは限らない。その端的な例として、地元なのに手に入れにくいということをひしひしと感じてしまうのが私の住む大阪府で醸される清酒「秋鹿」だ。以前より「秋鹿」に注目していてこれまで何種も呑んでいるのだが、どうも大阪の地酒のはずなのに手に入れにくい。決して全くない訳ではないのだが、最近秋鹿でも「案山子(へのへのもへじ)」という一貫造りの自営田山田錦の無農薬栽培のもの100%用いた純米吟醸原酒で当然生産数も少なく春に生、秋に火入れの年二回しか出ないもので、かなり親密な特約店にしか回らないだろうものを探していたが、これがまた大阪では出会えない。大阪市内にあって「案山子」を扱う酒屋は知る限り二件(ここここ)だけ、それ以上はあるかも知れないがどうも見つからない。前者は何度か立ち寄ってはみるもどうも売り切れてしまっている。後者は全国的にも有名な店かと思うが私にとってちょっとアクセスが不便な場所であり、ついでに日曜祝日が定休日なのでこれまで行けずにいたのが昨日(14日土曜日)初めて訪れることが出来た。しかし、聞いたら数が少ないからとっくに売り切れとのことで落胆して手ぶらで帰る。

 とはいえもう手に入らないかと言えばそういうことは無い。楽天上でネット販売されているお店もあるのだ。言ってもこれも二件だけ(ここここ)だが静岡であったり徳島であったりで大阪から大分遠い。そもそも楽天上で秋鹿を販売している大阪の酒屋は無く、ネット上ではもう少し存在するがやはり大阪の酒屋はこれ以上どうも出てこない。後ネット販売はされていないが以前東京に行った際に訪れたマルセウ本間商店も秋鹿は揃えてられている。結局、大阪では今回探すのに出遅れて手に入らないという判断をしたのでこの期におおさかやに初注文したのだが、地元外の方が手に入れやすいとはどうも複雑な感がある。地元だからこそファンが多くて購入についての競争率が上がってしまうという要因も考えられるのだが、近いから手に入れやすいという距離的な要因はこの場合当てはまらない。

 結局のところ「地酒」の消費の点に着目すると地元で大半が消費されるものもあれば全国的に点在する特約店を中核として消費されるものもあるという状況だろう。人に根ざすと見る方が正確であろう。そうなると地酒を支えうるアクターとして重要になってくるのは特約店となる酒屋であろうしその動向によって消費を規定する要因ともなろう。そういうことを秋鹿の「案山子」を求める過程でつらつらと考えていた訳だ。

 追伸:昨日、14日の土曜日の夕方におおさかやさんの方へネット上で秋鹿の「案山子」を含む複数の清酒を発注したのだが、今日の9時に早速荷物が届く。24時間以内に届くとは、おおさかやさん早すぎです!(今までのネット通販での最速記録だ )まぁ無事に入手出来たわけで一安心だ。

参考文献
 小泉武夫監修『日本酒百味百題』柴田書店 2000年
 古川修『世界一旨い日本酒』光文社新書 2005年
 


 しゃぶしゃぶに大黒正宗
2006年01月13日 (金) | 編集 |

 先日の記事に書いたようにちょっと変な風に意識が行ってしまったのだが、結局お酒を楽しむ分にはどうでも良い話だ。先日の高砂にしろ今日呑んだ大黒正宗原酒にしろ美味しい酒に間違いなく、こんなお酒を呑める事自体幸せな話であろうし純粋に楽しむ事がお酒に対する敬意でもあろう。ホント何考えてたんだろう?

 まぁ気を取り直して早速普段に戻るわけだが、今日の主菜はしゃぶしゃぶ、合わせたのは灘の安福又四郎商店の「大黒正宗 原酒」、しかも今出回っているものに比べ2年ほど前に醸された熟成酒でもある。熟成というと一般的に老ねやクセが出てくる玄人好みなお酒という扱われ方がされる事が良くあるように思えるのだが、この大黒正宗に関してはそういうことは全く無い。単純にまろやかに味が乗って来ているという感がありクセに感じる様な部分はほとんど無い。しいて言うなれば用いている米アルコールの風味があるというところだろう、ただし全くマイナスでは無く、この酒の風味を形成している。

 食事と合わせる場合でもなかなかなオールマイティな感があり、魚介類でも牛肉でも特に合わないという部分は感じずなかなかな相性を発揮するように思える。そういう意味では食中酒としての完成度はかなりのものだろうと思える。



 嬉しい感動、無濾過生原酒熟成の妙
2006年01月13日 (金) | 編集 |
 どうもこのごろスランプというかストレスで荒れているというか、ブログを書くにしろ前回の晩酌ノートの記事なんてちょっと荒れているのが自分でもわかる。若干清酒について自分は未熟であるのに背伸びして偉そうに講釈たれているだけではないか、そんなネガティブな感覚さえ襲ってきていた。だから昨日も休肝日でもないのに記事を書けずにいた。

 そういった自分は酒に関して未熟な若造という感覚は絶えず持ってしまう。お酒好きで何年も酒屋やお酒の会につきあいのあるような方の足下にも及ばない、そんな思いが絶えずある。特に衝撃が大きかったのは何年か前、石川県をグループで訪れた時のこと、私がまだ有名地酒に迎合していた時のことで、地元の受け入れ先の団体との交流の意味も込めて「呉春 本丸(本醸造)」を持参していった。しかし、北陸は酒所でありそちらの方々に清酒好きな方が多数いた。向こうが用意していたのは「みゃあらくもん」という富山の真酒亭という居酒屋のオリジナルでそこでの「富山真酒の会」の会員のみのお酒で、あの能登流四天王の一人「満寿泉」の三盃幸一杜氏が特別に醸したお酒で純米吟醸直汲みといったところだ(参考に紹介ページ)。いわゆる無濾過生原酒というものを呑んだのはこれが始めての体験だったため、正に衝撃的だった。当時の感覚として清酒のイメージとまるで異なる風味、そしてこんな美味い清酒があるものなのかという驚き、この時の体験が今の無濾過生原酒の系統への好みにつながっているかもしれない。そして、その後に持参した「呉春 本丸」を出したわけだが、ここまで書いているとおわかりのようにそんな酒の会に入っていて自分たちのオリジナルな酒を供するぐらいの酒好きの方が居る中において銘柄の有名度だけで選択した呉春の本丸を出すことがどんな愚行かおわかりだろう、しかもその方、池田辺り出身ということでますます私の愚行に拍車がかかる。一般的に呉春というと銘柄そのものに後光とでも言うようなプレミア的価値が伴うがそんなものは消え失せ、せいぜい「有名なお酒だね」という程度になるのも当然の結果とも言える。何よりも自分自身その「みゃあらくもん」に比べ呉春本丸なんてごく普通の(むしろ出来の悪いと感じるぐらいの)清酒としか思えなかったというのも大きく、味を吟味する以前に名前で選んでしまっていた自分が惨めに思えた。その後、呉春本丸が美味しいと思えなくなったことから本醸造に対するイメージも悪くなり、私はしばらく純米酒に走る結果になるのだが、今でもあの時の清酒知ったかぶりな自分の情けなさを思い出してしまう。

 なんというかここまで自分のネガティブな部分をさらけ出してしまったのだが、このエピソードは語る事がこれまで出来なかった、むしろいきなり語ることなど出来ないものだ。しかしその点でのイライラがこの頃あった、晩酌ノートをしばらく休もうかという思いも一瞬よぎった。そして今日は色々とあり21時過ぎの帰宅で兎にも角にも酒が呑みたい気分だった。

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 まずはビール、お気に入りのキリンのハートランドをゴクゴク呑む。主菜は我が家で今期初めてのカキフライと好物だ。そして清酒で先日開栓し初釜でも供した静岡の富士高砂酒造の「高砂 槽掛あらばしり 山廃純米無濾過生原酒」を呑む。いわば一年ほど寝かされた熟成酒であり、ぬる燗と冷やで呑んだのだが、開栓してから今日で5日目、味の乗り方が最高に良い。美味すぎると言ってもいいぐらいで、正にこの清酒を選択・購入したときの故はこの熟成による味の良さにあった。陶酔とも言える、美味い故に心地良く酔える、気持ちよくなったらそんなネガティブな気分は消え失せた。これは単純にここのお酒、このスペックだから味わえるものではなく、同様に寝かしたから即その味にたどり着けるというものでもなかろう、正に清酒の魅力、複合的な造りの点と熟成の点が交差しなければ味わえない感動だろう。そして、こんな美味い清酒の感動を書かずにはいられないのだ。そう、清酒に限らずお酒を味わうのにキャリアなど関係ない、確かに経験が豊富であればあるほど比較基準が出来、楽しみの幅は広がるだろうが、単純に美味しいか、好みであるかは述べてしかるべきものであり、何よりもそんな心の壁を作ってしまうにはもったいないぐらい魅力的な存在だろうとも改めて思った次第だ。忙しい故に書けない時もあるだろうが、やはり書き続けたい、そう思う。


 1月9日、10日
2006年01月10日 (火) | 編集 |
 なんというか二日まとめての晩酌ノートになってしまい申し訳ない。

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 9日の晩酌は芋焼酎で「さつま島美人」、300mlほどを5:5のお湯割りで呑んでいた。食事も丸大根の煮物や出来合いの揚げ物等だったのでこの日の晩酌は報告程度に記載しておく。

 この日に聞いた話題として、百貨店に立ち寄った際に清酒の「大七」が試飲ブースに来ていたので少しお話を伺ったところ、やはり日経のランキングのおかげでかなり売れているとの事、特に純米生もとでも二年熟成のクラシック(通常品は一年熟成)は蔵側では完売状態とのことで、たとえマスコミの影響があるとはいえ燗にはまる清酒が見直されているように思える。なにせ大七の純米生もとやクラシックなんて燗で呑まずして何を語れと言う?

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 10日は新年会で河豚を食べる。平八亭という複数店舗のあるお店だった。
 食事はてっさにてっちり、味は上々。

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 お酒は生ビール(モルツ)の後、ひれ酒。初体験だが確かに何ともスープを呑んでる感覚だ。

 その後「黒龍」の純米酒を呑む。あえて聞かなかったが注文の際、呑み方は確認してこず案の定冷やで出てくる。焼酎は呑み方確認するくせに清酒(地酒とくくっているもの)は呑み方確認せず冷やで出す、この飲食店の悪習はいつまで続くのか。。。焼酎の場合、呑み方確認せず水割りで持って行って「私はお湯割りで呑みたかった」って事になればクレームものでしょう?

 話は逸れたが、黒龍の純米酒は米の味がストレートに出ていてよろしいかと思える。名前のせいか若干他の銘柄に比べて高めの価格設定が気になったが。。。

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 追加で持ち込んでいた清酒で以前にも出した川島酒造の「松の花 西近江路」も呑んだりで締めとなった。


 珍獣
2006年01月08日 (日) | 編集 |

双頭の猫(ウソ)



 初釜に際して
2006年01月08日 (日) | 編集 |
 1月8日、この日は日中、母親の方の茶事の初釜の手伝いで水屋に入っていた。まぁ家で行うのでこぢんまりとしたものだ。初釜では食事を供するのでそれに用いる器の用意、料理の盛りつけ、後の器のかたづけといったことをやるわけだ。

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 なぜ晩酌ノートに書くかというと、その食事の際に清酒も供するからだ。もちろん私が選択する訳で、実は今回のために置いておいたのが昨日開栓した「高砂 槽掛あらばしり 山廃純米無濾過生原酒」だった。つまり先日の晩酌はこの日に供するための事前の味のチェックの意味もあった。もちろん初釜ということで「高砂」という名前からの選択でもあったが、熟成による味乗りの良さ、「高砂」の柔らかい風味ならば普段清酒に馴染みの無い方でも受け入れやすいだろうという判断でもある。比較的甘口ということもあり好評であったように思える。

イメージ 2オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。

 本当は盛りつけた料理をお見せするのが一番だろうが、実際の盛りつけの際は忙しいし手早く供する必要もあるので写真を撮ってる余裕など無い。ということで水屋で私が食べた分の写真しか無いので申し訳ない。鯛の昆布締め、海老しんじょの煮物椀、ひろうすと粟麩、魚は鰤等といったもの、ちなみにここにも高砂は写っているのだが食中酒として呑んでいたわけではない。


 1月7日 高砂 槽掛あらばしり 山廃純米無濾過生原酒(16BY)
2006年01月08日 (日) | 編集 |

 1月2日の呑み過ぎが引き金となって胃の調子が悪くなっていて、結局3~6日の四日間は全くアルコールを摂取しないでいた。ただし、それには理由もあり今日7日に所用があり、それに向けての忙しさとストレスが重なっていたことがある。1月中はなにかと忙しいのだがとりあえず今日の所用が終わり一息つけたところだ。

 そういうことで今日はまずビール、ヱビスの350ml缶を呑み、食中で合わしたのは静岡の富士高砂酒造の「高砂 槽掛あらばしり 山廃純米無濾過生原酒」(16BY)だった。精米歩合は55%でどうやら使用米山田錦で日本酒度-3らしい。16BYであらばしりという点でお気付きと思うが、これは蔵出しが2005年2月のあらばしりを酒屋にて熟成され飲み頃を見計らって売られたものである。実際に昨年の9月頃にそろそろ飲み頃じゃないかなぁということで開栓されたものを試飲させて頂いたりもした。それでももう少しということで11月か12月頃になってようやく売り出されたという風に記憶している。ちょうど12月に「高砂」を求めて訪れて試飲させてもらいこれを選択したと言うわけだ。

 槽掛は酒槽という昔ながらの酒を搾る道具を用いているということであり、現在一般的になっている自動圧搾機に比べ良い味になるという声もある。実際に私は酒蔵見学という事をしたことが無く実物がどのようなものかは知らないのだが、自動のものに比べて丁寧な搾り方であろうか、という感じがする。高砂の槽掛はこの山廃のあらばしりのものと太鼓持さんが呑まれていた山廃では無い中取りのものがあるようで、どちらも単純に数が少なく、蔵元と交流のある酒販店に回るようだ。

 ついでにあらばしりについても、漢字で書くと荒走りであり酒を搾る際に最初に出てくる部分のことである。これはオリや雑味が多く荒走りと言う言葉も本来は良い意味では無かったのだが、最近ではしぼりたての新酒をイメージさせるものとして一般的に用いられているし、荒走りとして出されているものにそう悪い印象も無い。むしろ今回の高砂のあらばしりはその雑味の部分もしっかり旨味に転換していると思える。ついでに言っておくと酒を搾る際に最初に出てくる部分が「荒走り」、その後に出てくる最もその酒で良い部分と言われるのが「中取り」であり、特にその部分を取り出して瓶詰めしたものがあらばしりや中取りの肩書きを持って売られるということだろう。

 あらばしりは新酒の搾りたてのイメージを持って肩書きに付くのが一般的であるが、今回の場合のように熟成させるのも面白いと思える。あらばしりは雑味が多いと言われるように色々な味が含まれるし無濾過ものによくある渋味も強い(それも酒の味わいの一部を成すとも思う)のだが、熟成によってその渋味の部分が丸くなって旨味を存分に楽しめる場合がある。今回のものはやはり熟成による味の乗り具合はちょうど良いと言える。

 まぁ前置きが長くなったのだが呑んだ感想として、高砂の山廃の特徴である不思議な位軽やかな酸味がまず来てそして日本酒度-3ということもあり甘味がしっかりとある。そして後口は熟成によってまろやかになっているとはいえ渋味と言える味の響きが適度にある。そうして余韻が残ると思いつつ、全体の酒質の柔らかさもありいつの間にか消えていくという感があり、これは水の為せる部分だろうか。今回は胃の具合も見つつ清酒については冷や少しと燗一合とした。



 飲酒ストップ中
2006年01月05日 (木) | 編集 |

 1月2日にちょっと「大黒正宗しぼりたて」を呑み過ぎてしまった。冷やで呑み続けたせいかついつい杯が進んでしまい、4~5合は呑んでしまっただろうか、それで翌日はまぁ二日酔いで一日ぶっ倒れていたのだがどうもこの呑み過ぎが引き金になって胃にどっと疲れが出てしまったようでどうにも具合が悪い。ということで3~5日はまったくお酒無しで食事も饂飩が多く胃薬も飲んでいる。ということで晩酌ノートも更新が無いわけです。そろそろ回復してきているとは思うが、明日は忙しくて更新はしないと思うし、お酒も呑まないと思う。



 1月2日 天麩羅と大黒正宗しぼりたて
2006年01月03日 (火) | 編集 |

 正月2日目もゆっくり寝た上に全く出かけずに家で過ごしている。こういう正月もいいでしょう。

 今晩の主菜は天麩羅と普通の食生活の感がある。正月二日目の晩酌はまったり清酒をということで「大黒正宗 しぼりたて」を呑む。もう今回は特に言葉に出す事は無い。冷やのみで呑んだがどんどん杯が進む。食後も呑んでいるぐらいで三合以上は呑んだと思える、食事と合わせても単体でもそれぐらい美味いのだ。

 ところで正月でもほとんど家にいるのでTVをよく見ているわけだが、正月は漫才番組が多くてお笑い好きには嬉しい限りだ。それに加えて以前に一度はまった里見八犬伝のドラマがあったりと興味深く見ていた。どうしても八犬伝のドラマは尺が短いために省略されている部分は多いがそれほど筋を崩さない感じで進んでいるのでなかなか楽しめると思える。



 元旦の晩、れんと
2006年01月02日 (月) | 編集 |
 正月だというのにほとんどお節料理は用意していない。いや、確かに数の子や黒豆などはあるが、元旦の晩の主菜は鰻とかなり普段の食事と変わらない。まぁ元旦からコンビニのみならず多くの商店が営業しているので保存食としてのお節料理の意味はほとんど無いのが現実だと思える。

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 合わせたのは奄美大島開運酒造の黒糖焼酎の「れんと」だ。少し前にお歳暮として私宛では無いが奄美大島と縁のある方から「開運の郷」として奄美大島開運酒造のセットで頂いた。実はその送って頂いた方には色々と焼酎を振る舞ったことがあるのでそのことがあってのこのお歳暮だったように思える。実際焼酎となると我が家では私のところに来ることになるし、まだ「れんと」はまだ呑んだことが無かったのでありがたいところがある。このセットの内容は「れんと」の他に40度の長期樽熟成の「紅さんご」の小瓶、それと奄美の「ばしゃ山焼」の陶器グラス、底には「れんと」のブルーの瓶を砕いたものを敷き詰めているのが特徴であり、焼酎用グラスとしては重宝しそうだ。

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 今回の晩酌の本題として「れんと」の感想を、「れんと」自体はすでに音楽の名曲を聴かせて熟成させていてその瓶デザインや呑みやすさからなかなか評判(特に女性向けという声を聞く印象がある)が高いと思え、確かにクセはあまり感じずに風味はなかなか良い、香りはパイナップル系に思える。ストレートよりもロックにした方がまろやかになって風味を楽しめるように思える。

 なによりもこの蔵元が開運酒造、セット名も「開運の郷」、正月にふさわしいものだろうということでこの日に呑ませて頂いた。


 元旦の昼、梵 純米大吟醸
2006年01月01日 (日) | 編集 |

 明けましておめでとうございます。どちらかと言えば家でのんびりな正月になっております。

 元旦というハレの日なので、今日は昼からそれに丁度良いような清酒を、福井の加藤吉平商店の「梵 特選純米大吟醸」を開栓して呑む。これは兄貴が福井に行った際の土産の品。使用米は兵庫県産契約栽培の山田錦のみを用い精米歩合は40%、使用酵母は自社酵母のKATO9号(九号系酵母の流れか?)、日本酒度は+5でアルコール度数は16~17度で、それを0度以下の氷温貯蔵にて2年以上寝かされている。肩書きによるとこの加藤吉平商店が1968年に日本で初めて大吟醸酒を製品化されたとの話だ。

 吟醸香自体はほんのりで良い具合、口に含むとじんわりと米の旨味が綺麗に広がってくるというところで、酸味そして旨味・甘味が来る。少し後口に余韻が残り、一口の間のまとまり方が良いと思える。肩書きにも「冷やまたはぬる燗で」とあったのでぬる燗で呑むと酒質自体が柔らかくなってより美味くなるように思えた。

 主菜はお節料理、と言いたいところだが今年はあまり作っていない。蒲鉾や数の子、黒豆とスポット的にあるがお重は無い。まぁ少なくともお雑煮はある。我が家は白味噌のみのもので大根・人参・豆腐・蒟蒻・小芋・クワイ、後写真のものには入っていないがお餅といった内容だ。



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