日々の晩酌を中心に、時々我が家の虎猫兄弟なブログ。
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 日本酒コラム、語るに質するか否か。
2012年06月25日 (月) | 編集 |
あまりに非道い(皮相浅薄で稚拙というべきか)日本酒コラムのブログを見つけてしまい、たまりかねてそれの批判記事を記していたのだが、該当のブログでは本人の個人情報がおおっぴらになっており、まがりなりにも研究者の立場にあるにも関わらずあからさまな盗用・剽窃行為をしているだけに、場合によっては騒動になりかねんなぁと公開するかどうかもどかしい。そいつの指導教官に直接メールすべきことかもしれんが、ともかくこのような些細なことで面倒事に巻き込まれて取り組むべき大事に支障を来すようなことはごめん被りたい。まぁ内容がスカスカなのだが、プロフィールだけやたらと箔を付けて大言壮語してて、これから日本酒啓蒙家として売り込んでいこう臭プンプンなのである。こんなのに引っかかる人がでないことを祈っておく。

と、ここまで書いてやっぱり注意を促すために、直接そのブログに触れない範囲でまとめていたことを記しておくか。私は職業柄、何かを語ること、論じること、特にそれを文章にて表現するという行為について非常に厳しく取り扱う。それが他愛ない日記ならば特に目くじらは立てんし、味の表現のように厳密には解のない千差万別な個人的感想に依拠するようなことであれば自由の範囲内である(一応言っとくが、自由と自分勝手は違うよ)。実際に自分だって日記的に書く分にはそこまで気を張らん。しかし、それが蘊蓄やら知識を披露するものであれば話は別、可能な限り確実性の伴う資料に依拠し、先行業績も調べた上でようやく語りうるものである。それが若気の至り程度のもので、趣味のブログ上の話ならば許容範囲内であるが、日本酒に関する講習や指導を行うプロフェッショナルであると振る舞っているのならば看過できない。(一応、私はコラム的な話を書く際には情報のサーベイや引用のルール等には注意を払い、本気モードで辛辣に取り組みますが、あくまで一人の飲み手としての趣味の延長線上であり、本気で酒造りやPRに取り組んでられる本当のプロを差し置いて人様の前で語るべき立場ではない)

とまぁ、最初に堅い話から入ったが、ブログの普及以降特に顕著なんだが、何を勘違いしたのかHPやらブログを開設したら評論家気取りで情報公害に該当するような記事を垂れ流すという事例が散見されるわけで、日本酒の場合だと誰も頼んでないのに「日本酒の素晴らしさをもっと知ってもらいたい」と啓蒙活動を始めてしまうが、その手の日本酒蘊蓄記事や解説記事というものは私見として、にわか仕込みでソースもいい加減、思い込みで筆を滑らせているような、粗製濫造品と言わざるを得ないものが大半である。それを問題視する理由は、そういった不正確な情報が流布されて、歪で偏った認識が定着してしまうリスクがあり、またそのような偏った認識を持ったものが専門家やオーソリティーを気取って権威をもってしまうというリスクもある。そうなるのは社会にとって不幸であり損失である。一見、「衰退の一途をたどる日本酒を再興したい」みたいな理想的な文言を標榜していても、全くの善人であるとは限らない(騙して儲けてやろうという意識の有無に関わらず)。インターセラーズの事例のように、酒蔵再建事業だとしてTV番組にも美談として取り上げられたにも関わらず、契約した酒蔵と騒動を引き起こして醜態を晒し、すでに消滅しているということもある。

日本酒の話題として、特に多いのは特定名称酒の解説である。以前にハッキリ釘を刺しておいたが、特定名称酒というのは国税庁の告示で定められる「清酒の製法品質表示基準」によって明確に規定されており、これに依拠することが絶対に必要である。それに準拠しないものは一切傾聴の価値はない。ていうかね、知らんのなら無理に書くなって、国税庁による解説ページのリンクを貼るだけで事足りるんだわ。間違っても「わかりやすくするために小難しいことは省略しました♪」ってな言い訳は止めてな。友達同士の会話とかで口頭で教えてあげているのではなく、公然と情報発信している文章なんだから可能な限り情報を正確に伝えるのは責務でしょう。特定名称酒の基準を批判する場合でも、まずは現行の規定を正確に捉えねばならん。

おおよそこれまでに評価すべき業績を持たない個人のHPやブログやら、日本酒啓蒙のプロを自称しているような方の日本酒の蘊蓄を語るコラムを見かけたら、まずは特定名称酒あたりの解説において国税庁の「清酒の製法品質表示基準」に準拠しているかどうかを批判的にチェックして頂きたい。そのチェックに耐えうるものでなければ解説や議論を行うに足る知識や経験を伴っていない、語るに質する土俵に立てる段階ではないチラシの裏レベルとして無視すべきである。まぁ出版物でも趣味が高じて門外漢が思い込みで書いた様ないい加減な日本酒本も散見されるし、それが初学者向けに流布してしまっているし、粗製濫造の連鎖ですなぁ、はー。

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 人の感覚、この不確実なもの
2012年02月11日 (土) | 編集 |
先日飲み会にて、お遊びとして会の前半は用意された8種ほどの清酒をブラインドで味わい、後半は各銘を明らかにして盃を重ねるという趣向を体験した。当然ながら点数をつけて順位付けなんて野暮なことはなく(評価は自分の胸の中に留めておけばいい)、利き酒でもないのでいちいち吐き出すこともなく、注がれた酒は飲み干してから次にいく。当然、飲み会なので肴も食しながらである。この内、2種は購入して家で飲んでいたものだったが、個体差のコンディションの違いというものもあるとはいえ、このような飲み方だと全然分からなかった。さらに面白かったのは、8種を通しで飲んだ後、印象の良かったものに戻った際に、風味の印象が全然異なるものに感じたことである。もし自身の感覚を絶対視し、この時の風味の印象をこの銘柄と結びつけてインプットしてしまうと、その銘柄=イマイチ、と記憶に留めてしまう可能性があり得るのである。以前より認識はしていたことであるが、酒の飲む順番や盃の重ね具合、腹具合、食い合わせの状況で人の感覚というものがめまぐるしく変化してしまうというのを明確に体験した。

もちろん、銘柄を愛でるという趣向も楽しいものであるし、飲んでみてあれこれと感想を抱くのも至極当然である。ただし、その際の最低限の礼儀というのが必要だと考える。それは、その酒を飲む際に、自身の体調や合わせる肴、それまでにどれぐらい飲んでいるのか、それらの条件を棚に上げて、自身の感覚を絶対視して批評することは慎むべきである。なぜなら、どれだけ自身の好みに合って、気力・体力が充実しているニュートラルな状態で飲めば自分が好きだと思える酒質・風味のものであっても、条件によってはイマイチな酒、マズイ酒と感じてしまう場面がありえる。感覚の不確実性は排除しようがないのである。

この人間の感覚の不確実さ、影響の受けやすさは酒の飲み手として心得ておきたいことであるが、この点の検討に関しての推薦書として佐藤信『酒を楽しむ本 統計学がわりだした実践的飲酒法』(講談社ブルーバックス、1964年)を挙げておきたい。すでに絶版になっているが、講談社ブルーバックスのシリーズなので多くの図書館に収蔵されていようし、古書でも比較的手に入りやすいと思う。記載内容はおおよそ半世紀前のものなので時代遅れな記述・データはあるのは確かである。しかし、飲み手側の嗜好や感覚、酒の美味さの測定に関する二~四章の科学的・論理的な検討は現代でも傾聴に値する。人の感覚がラベル・銘柄に対する期待、イメージ・順序(二つのものを飲み比べる場合、最初に飲んだ方が好印象になりやすい)・残存(その直前に口にしたものによって味覚が影響を受ける)などにより、いかに不安定で外的・内的要素に左右されるか、副題にあるとおり統計学的な裏付けを用いつつ明らかにしている。一つ面白いエピソードを紹介すると、当時の国立醸造試験所における品評会において、審査員が特にうすいと感じた酒について抜き出して成分を調べたところ、他の酒に比べて特別に含有成分が少ないということはなかった。ではなぜ薄く感じたのか、観点を変えて、その薄いと感じた酒の直前に利くことになる順番にあった酒を調べたところ、その酒の成分が特別に濃かったということが判明したのである。そう、その道のプロが行ったとしても、ちょっとした飲む順番の偶然で感覚が左右されてしまうのである。第三章「感覚の落とし穴」の結語はこうである。

「われわれは、自身で体験したことについては、絶対の信頼を置く。この目で確かめたのであるから、この鼻で嗅いだのであるからと。もちろん、それは大変に結構なことでもあり、妥当なことでもあろう。しかし、自分だけが正しいことをいかに確信していようと、誤まっている場合もあることを常に心にかけているべきである」(88~89ページ)

余談ながら、この本を知ったのは秋山裕一氏が『日本酒』(岩波新書、1994年)の中で挙げていたからなのだが、該当箇所は利き酒や評価法についての段、その専門書だとして挙げられていたから、実際に本を入手して読んだ際には面を食らった(利き酒のハウツー的な内容はない)。『日本酒』での実際の箇所を引用すると、「一般的なきき酒での評価は、…点数をつけて投票し、総合点で判断する。この他に、「どちらがよいか」というきき酒もあり、やり方や評価法についての説明は専門書にまかせることにしよう(佐藤信『酒を楽しむ本』)」(34ページ)とある。後から考えてみると、この専門書というのは点数投票式のきき酒ではなく、「どちらがよいか」の評価法に関する部分にのみ掛かっているのであろうと思える。『酒を楽しむ本』での該当箇所は第四章「酒の美味さを測る」の三「ウソの対策」である。

ここでは「スコッチウイスキーと国産ウイスキーを飲んで区別できる」と主張する人を想定して、実際にテストを行って、正解すればその主張とその人の能力を認めるということであるが、タイトルが「ウソの対策」とあるように、性悪説の立場をとって(科学的な証明のため)、その本人の能力が本当かどうかを疑う。単なるマグレ当たりを排除するために複数回のテストを行う。マグレ当たりが0%になるのは永久に繰り返しても無理なので、どこかで妥協せざるを得ず、著者はマグレ当たりの確率が5%以下になれば、それはマグレではなくその人の能力を認めることと仮定し、確率論から言えば五回連続で正解するのは3.125%であるから、五回連続正解することによって能力を認めるということとした。さて、この章はここで話が終わっており、続く章では飲酒量の管理法などの別の話題となっていく。この箇所だけを見れば、複数回のテストを持ってせねばその人の評価能力を証明できないということになるが、前段の挙げたとおり、この四章に至る前の第二~三章にて人の感覚の検討が行われており、自ずとそれを踏まえての話でなる。深読みすると、秋山氏があえてこの本を挙げたのは、きき酒のまねごとで飲み手が銘柄やイメージの影響を意に介せずに好き勝手批評するような行為が往々にしてあり、それに対する批判の意味があったのでは、とも思えてしまう。


 【吟醸酒が混ざってるが気にすんな】キタ━(゚∀゚)━!!!!! 本醸造ばっかwww その二
2012年02月03日 (金) | 編集 |
時折、本醸造が無性に欲しくなることがある。以前にも本醸造をまとめ買いしたことがあるが、それと同様に一升瓶三本をまとめ買いして、本日届く。

本醸造ばっか

東北泉は前回と同じでリピート、南部美人は本醸造が最安値(本醸造にもノーマルと辛口があるが、どちらも同価格)、喜久泉は田酒で有名な西田酒造店のもう一つの銘、ラベルでは吟醸酒だがかつては特別本醸造であったとの話であり、公式サイト上での商品ラインナップでも同蔵元の最安値なので「普及酒」の定義で言えば外れていないだろう。それぞれについては飲むときに改めてということで。


 恒例の『dancyu』日本酒特集も目前なので
2011年01月12日 (水) | 編集 |
プレジデント社の雑誌『dancyu』、年一回のペースで日本酒特集が組まれるが、それは大概三月号(2月発売)となる。メイン記事は旬の銘柄の紹介であり、他にも色々と特集が組まれることになる。まぁ個人的には良くも悪くも日本酒のトレンド(=有力酒販店がどんなのを売ろうとしているのか、有識者とされる方がどの蔵に関心を持っているか)を知るバロメーターにはなるだろうというところである。ともかく、日本酒ファンを自認されている方、おおよそ酒ブログを展開されている方ならば十中八九チェックすることになるであろう。それ故にちょっと強調しておきたいことがある。

ふと『dancyu』の公式HP内の日本酒特設サイトを訪問してみた。そこで松崎晴雄氏監修のコラムが目に付いた。個人的にはというか、私ごときが言うのもおこがましいが、いわゆる昨今の日本酒に関してメディア・雑誌に頻繁に登場する有識者の中では松崎氏は数少ない傾聴する価値のある方と認識している(つまりは私ごときの目から見ても他に明らかに偏見まみれ・適当な記述・事実誤認な方が多すぎる)。『新版 Tastes of 1635 日本酒ガイドブック』が好例だが、蔵元や基礎知識に関する記述、その利き酒による評の姿勢は実にバランスがとれており、一つのお手本となりうる。それはさておき、その件のコラムの最新記事、利き酒についての、酒好きが趣味で行う場合の指針となるべきことが適確に述べられている。まぁ私も似た様なことを前々からちょくちょく言っていることなんだが、その酒の粗探しなどは「無粋」と切り捨てられており、楽しむことを追求すべきとされている。その点は共感するとともに、『dancyu』日本酒特集を読むブロガーならせっかくなのでこれぐらいは目を通しておいて欲しいと思った次第である。



 昨日の追記、インターセラーズはどこ行った?
2010年11月09日 (火) | 編集 |
2010年11月8日

昨日の記事で太陽酒造に関連してインターセラーズの件に触れたが、ちと実際にあの会社がどうなったのか気になって、ネット上で調べてみたのだが、どうにも行方不明、消滅したと思って間違いなさそうである。

先に、検索していた過程で見つけたこの記事、インターセラーズ・太陽酒造騒動について一番まとまっているのではないかと思う。私は見落としていたんだが、神戸新聞で取り上げられていた際の記事が転載されていて、これが最も蔵側の主張・実際を示しているものと思えるので要チェックであるが、ここでインターセラーズがスタッフサービスからOGIホールディングスというところに売却された旨が記されている。極端に情報の少ないときには頼らざるをえないwikipediaの「スタッフサービス」の項にはインターセラーズを含めて五社が売却されたとある。で、OGIホールディングのサイトをチェックしてみたんだが関連会社に他のスタッフサービス系だった会社の名は確認できるもののインターセラーズは見つからない。取扱内容である酒蔵再生事業もOGIホールディングスの活動に確認できない。つまり、文字通り消滅しているのである。

一方で、インターセラーズの傘下にあったと認識していた三蔵、静岡の富士高砂、岐阜の千代菊、秋田の阿桜の公式サイトも細かにチェックしてみたが、現在のサイト内にはインターセラーズという言葉、それと関係があったと思わせる残渣すら一切見つからなかった。つまり、インターセラーズとの関係は「消された過去」状態だった。

まぁ事実はどうだったのか、太陽酒造を除いた当事者の声がほとんどない、今後もそれは公には期待できそうにないので闇の中だとは思うが、日本酒業界において自身も酒蔵にも利益となって、日本酒再興という理想も有するという、ウィンウィンで良いことずくめの企業活動を行おうという高い理念をもってインターセラーズが活動していたのだとよしんば仮定したとしても、太陽酒造とのいざこざは正に致命的だっただろう。あの事態を収拾しようとすらしなかったのだから、むしろ消滅するというのがごく自然なことのようにすら感じてしまう。最後に参考ながらかどや酒店さんの太陽酒造騒動の最初の頃に記された記事に、今年の四月に内部告発的コメントが残されていたのが目に止まったのでそれを示しておく。信じるか信じないかはあなた次第なり。もしでまかせでそのように語っただけだとしても、このようなコメントの記載に駆り立てた何らかの要因があったものと私は考える。


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